レビュー素人がいきなり難解映画を考察してみた タルコフスキー「鏡」
こんにちは! 今日は映画レビュー初めての投稿という事で、何しろ勝手がわからないので、いきなり無茶苦茶な企画をしてみようと思いつきました。
比較的に難解映画は好きですが、見るのとレビューするのは、まったく別物。
今回、真剣に向き合った作品は、1975年のソ連映画、アンドレイ・タルコフスキーの鏡です。
まぁ、一見退屈そうなスロー作品ですが、考察すればするほど、味のある作品でした。
1️⃣ あらすじ
「惑星ソラリス」などで知られるソ連の映画監督アンドレイ・タルコフスキー の自伝的要素の入った作品。
主人公のアレクセイは、神経症を持つ妻子持ちの男。
その神経症のせいで、妻との仲が悪くなり、息子を捨ててでも自由になろうと思っている。
ある日、自分の母親から電話があるが、母親とも上手くいっていない。
その時、ふと自分自身も幼少期に父親に捨てられていた過去を思い出し、父親と同じようになった原因を探すために、自分の記憶をたどる。
と、これだけ読むととても簡単なストーリーのように思えるが、実際はこのあらすじにたどり着くまでにも、頭の混乱を解く必要のあるくらい、厄介な作品でした。
2️⃣ 考察1 「ストーリーの簡略化とイメージ映像の謎」
まず、この作品の第一の難関は、シーンが変わるとキャラクターの名前が変わるところです。
法則性を見つけた頃には、遅すぎて、結局最初から見直す事になりました。。
結論、主人公の少年期と現在の主人公の息子、主人公の母親の過去と主人公の妻が同じ役者が演じているのです。
この関係性が、タイトルの鏡の役割をしている事にまず気付きます。
次に、難解なストーリーを簡略化して見ます。
すると、大きく分けて、5つのブロックに分けることができました。
①オープニング ー幼少期に見た吃音の青年の治療を撮影したテレビ番組
②主人公の少年時代
③現代
④、②と③の話の間にランダムに入るイメージ映像
⑤エンディング
②と③がストーリーの主軸となるのだが、④のイメージ映像を入れる必要があるのか?というのが、問題になる。
法則性が曖昧だが、少年期の回想の後にほとんど、このイメージ映像が出ているという事で、二人で対になるという法則に当てはめると、現代の主人公の対となるのは、幼少期の主人公の父親しかいない。
そして、記憶も曖昧な年で父親は家を出ているということで、これらのイメージは、父親から聞いた話や、母親の話す父親など、厳密な記憶のない父親のイメージだと考えるのが妥当だと思う。
3️⃣ 考察2 「オープニングの謎」
ここまでストーリーが簡略化出来れば、だいぶんと考えやすくなりましたね。
現状が、昔の自分と全く同じ状況なのが分かり、自分自身の鏡の関係である、父親の実像が自分をたどって行くにつれて見えてくることにより、現状を改善しようとしているのが分かる。
では、この話は、暴露系の苦しみしかない話なのか?
その謎を解くのが、オープニングである。
幼い主人公が、テレビをつける。
すると、吃音の青年と、女医が映る。 女医は、予備催眠をかけ、カウントの後、腕が動かなくなるという。
青年の腕は本当に動かなくなった。
次はカウントで元に戻るという、その際に言葉も体から自然に出てくると言う。
そして、カウントの後、青年は女医の言う通り、詰まることなくスラスラと言葉を話し出す。
これが、オープニングだ。 治療も理にかなっている。
催眠療法というのは、目と目を合わせることが絶対に必要である。
その青年は、女医の目を見た際に、そこに映る自分も見えたと思う。
このオープニングは、女医の目に映る自分自身を見る事により、これから、こういう風に自分を治療していくお話ですよ。と伝えているのではないだろうか?
本当に良く出来た演出だと思う。
4️⃣ 考察3 「トラウマ必至のエンディング」
正直この映画、ビジュアルイメージが美しいと怖いの紙一重の間にある作品だと思います。
怖い!という感じでなく、なぜか自分の過去の記憶のように、自分の記憶の中にしぶとく残る映像が多いんですよね。。
そして、結論、このエンディングに関しては、きちんとした答えまでたどり着きませんでした。
ので、僕の考察を書いてみます。
まず、支離滅裂なトラウマエンディングの説明を。
主人公の母親と父親が新婚のとき、二人は将来の未来予定を話しています。(主人公が生まれる前です)
すると、マタイ受難曲がかかり始め、枯れた井戸、壊れた柵が映し出され、妻は何かを見つけてニコッと微笑みます。(場所は現在の家を映しているのでしょうか?)
そして森の奥から、現在の老いた母親が、生まれてないはずの小さい主人公と妹の手を繋いで歩いてきます。(未来と過去の人物)
若い頃の母親は、自分の未来の姿を見たのです。
場所は多分現在、そこに若い頃の両親と現在の母、小さい頃の自分という、何一つとして時代設定が合ってないんですよね。。
調べているうちに、タルコフスキー自身の出生地について面白い記事を見つけました。
出身地は現ロシアのザヴラージェという所らしいのですが、ヴォルガ川の水位上昇により、現在は存在しない村だそうで。。
でも、このこの情報、エンディングとはリンクせず。。。
5️⃣ まとめ
正直ギブアップです。。笑
解釈なら、いくつかあるんですが、カチッとハマる答え的なものには、たどり着きませんでした。。
普通、人の少ない村なら、すれ違いざまに挨拶くらいあるでしょうし、誰も目線が一切会わないことから、実際には実存していないシーンで、そこに、何かしらの監督のメッセージを入れたんでしょうがね。。
僕の解釈としては、自分探しなんてしても結局迷子になるだけみたいな感じですかね。笑
オープニングだって、言葉がその時出ただけで、治ったかは描かれてませんしね。
しかしながら、すごい映画でした。
一生記憶から離れないほどの爆発力のある映画でした。
派手なハリウッドの映画なんか、すぐに忘れるのにって感じです。笑
実は、何作かしか、タルコフスキーは見てないので、これを機に他の作品も見て見たいと思いましたね。
万人受けする作品でないとは思いますが、少なくとも受け身で終わる大衆映画ではなく、美しくも残酷な人生というものを考えさせられる作品だと思いますので、興味を持った方は是非!!